うちには、竹林がある。ここの人たちは竹山(たけやま)と呼ぶ。広さは、4反(100m×40m)くらいだろうか。
竹は、その生命力がすさまじく、高齢化が進むこの地域では放置竹林があとを絶たない。一度放置してしまうと、人が入ることも難しいくらい竹だらけになる。
うちも昔は放置竹林であったが、一度整理をしてもらってからは自分で手入れをしている。
竹に怒りをぶつけていた時期
生命力の強い竹は、4月~5月のシーズになると無数に生えてくる。整備をする人にとっては、本当に悩みの種だ。整備することだけに気が向いていると、どうしてもイラ立つ気持ちが出てくる。
「昨日、整備したのに、どうしてまたこんなに生えてくるんだ。」
「せっかくの休みなんだからゆっくりしたいのに!」
そういう気持ちで竹を切ったり、筍を蹴ったりして怒りをぶつけていた。しかし、竹とそういう向き合い方をしていては疲れる。やっつけ仕事のように感じて気持ちが萎える。
その時期は、よく切っても切っても生えてくる竹の夢を見た。なんとも気持ちが悪い。また、竹を整備していてケガする夢もよく見た。
本当に竹に悩まされていた。
一本の竹と向き合う。
同じように竹の整備をしていた時だ。竹はしなるので、整備をしていると枝がムチのようにしなって腕や脚に当たる。顔に当たったときは本当に痛い。メガネが何回飛んだかわからない。しかし、ある時、「イタッ」と声に出した時、ふと、竹の気持ちが心の中に出てきた。きっと、竹も痛いんだよな。
今まではイライラばかりぶつけて切ったり蹴ったりしていたが、「立派に生きているんだよな。」当たり前なんだけど、気が付かなかったな。
そう思った時から、一本の竹の気持ちになることにした。
「今までありがとう。切らせていただきます」
そう心の中で語りかけてから切ることにしている。一本の竹を尊重する気持ちを忘れず、命としっかり向き合い、大きな竹を切り倒し、枝を払うことにした。
人間の都合だけで世界はできていない
竹が痛いと思うかどうかはわからないが、今まで生きてきた命を自分がそこで断ち切ることには変わりない。そこに苛立つ気持ちは自分勝手なもので、感謝の気持ちがなければ人として悪しき行動だと反省した出来事でした。
私も含めて、人は自分たちの都合で環境を整える。生きていく上では仕方のないことでもある。
しかし、今回の竹だけでなく、木も、草も、みんなそれぞれの命を必死に生きているという点では人と何も変わらない。
命を取るという行動をするとき、相手に思いをはせることが大切だなと感じました。
イライラして切る一本の竹も、感謝して切る一本の竹も、はたから見れば同じ行動。しかし、その心は全く違うもの。
同じ世界に生まれてきたものとして、命を大切にする気持ちを今後も持ち続けていきたいと感じた出来事でした。
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