春になると、どんな種をまくのか、毎年ワクワクする。
ニンジンの種を蒔いて、ダイコンの種も蒔こう。あぁ、ほうれん草もいいなぁ。
その中には、すぐには取れない野菜もある。
例えば、サトイモ、ネギなどは冬に向けて今から育てる必要がある。
そして、もっと時間のかかる野菜もある。
その代表格は、アスパラガスだ。
アスパラガスは、1年目は食べられない。2年目でもまだ早い。
3年目になって、ようやく美味しいアスパラガスが出てくる。
野菜によって、育つまでには時間がかかる。
どんな種を蒔くのかは、その人次第だが、人生においても、どんな種を蒔くのかは大切な気がする。
明るい未来を想像して、自分はこんな風になりたいな。
と思えたら、そのために、今の自分は何ができるか。
その、「何ができるか」と行動を起こすことが、種を蒔くことになる。
考えることは大切だが、考えているだけでは何も育たない。
頭の中で想像が育つだけで、あるいはできない理由を見つけるだけで、何も育たない。
大切な事は、自分にできる範囲で行動に移し、無理なく続けていく根気。
そして、これこそ本当に大切な事なのだが…どんな気持ちで行動に起こすのかは、思っている以上に大切な気がする。
人は、自分が、自分が…と自分に意識が向いて、
他人のことを視野に入れずに、
ただやりたいことばかりを追求する欲にまみれた種まきでは、種が芽吹くどころか腐ってしまう。
例え、大きく育ったとしても、他人や世の中、社会にとって害になる可能性の方が高い。
じゃあ、どんな気持ちが大切なのか。
それは、他者に貢献する、社会に貢献する、という気持ち。
自分のできることをもって、世の中に貢献する行動を起こせば、それは必ず自分にとって価値ある実を結ぶ。
その価値とは、自分にとっての生きがいとなるもの。
多くの人に影響を与えなくていい、一人の人を大きく幸せにすることだって大切な価値がある。
賞をもらわなくてもいい、人目に付かずに小さな幸せをたくさん見つけることだって重要な価値がある。
人は、一人では絶対に生きていけない。
でも、みんなとばかりでは疲れてしまう時もある。
そのバランスを上手くとらないと生きていくことが大変なのだが、
やはり、他者との交流なくして、人の幸せは有り得ない。
それは、もはや遺伝子レベルで人に刻み込まれているもの。
それは宿命ともいえる。
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