道路にところどころ、生えている草。
あの草を見て、
「変なところに草が生えているな。」と思う人がいたり、
「こんなところに生えて!」と何となく愚痴を吐いてみたり、
「もう、雑草何て、色んな所に生えて大変だ!」と嘆く人がいたり、
まぁ、この時期、一斉に芽吹きますので、野菜の芽が出れば喜びますが、
自分に都合の悪い芽が出れば、やれ面倒だ、やれ抜いてしまえとなってしまう。
しかし、あの道路に生えている雑草、今日はやけに羨ましく見えた。
だって、道路の割れ目に生えているから、隣に育つライバルはいない。
まぁ、一緒に育つ仲間がいないという事も言えるが、やけに今日は悠悠自適だなと、そう感じたのです。
植物は育つ場所を選べない、だから、道路の割れ目に種が落ちたなんて言うことは、まさに奇跡。
文句も言わず、一人たくましく育っていく雑草は、置かれた場所で咲く精神を全うしている。
人もそうなんだよね。
置かれた場所で咲く精神がもっとあれば、迷うこともないと思う。
道路に育つ植物は、まさにニッチな分野の達人。
人も、それぞれに得意分野が存在する。
それは、ある人はお金になるだろうし、
もちろん、お金にならない得意分野だって存在する。
お金になるか、ならないかは、人間の都合だから。
でも、自分が極めていけるその分野。良いですよね。
誰に褒められるわけでもない。
たくさんのお金になるかどうかは、分からない。
でも、その分野は、自分の中で今日もしっかりと育ち続けている。
スマホが流行り出してから、見ても仕方のない映像ばかり。
リア充を満喫している人たちを見ていると、自分はこのままでいいのか?
自分もあんな風になってみたい。
と、見なければよかった、知らなければよかったことを妄想する時間が長くなる。
もちろん、知識を広げることは大事ですよ。
でも、どうやらスマホのそれは、知識を身につけることとは程遠く、
人から「いいね」をもらうためだけを追求していくようにしか思えない。
その先には、どんな充実感があるのだろう?
いや、充実じゃなくて、虚しさだけが残るだろう。
他人の「いいね」をもらうために、自分の時間を費やすことは、どこか道がずれている。
やっぱり、あの道路の雑草のように、
自分だけのエリアで、
争うことなく、
ただ、自分の大切だと思うことを、大切に行っていく。
あの道路の雑草のように、私もなりたい。
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